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大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)5389号 判決

原告 日之出化学工業株式会社

被告 三光汽船株式会社

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(一)  当事者の申立

(1)  原告の請求の趣旨

「被告は原告に対し金六六万三四八九円及びこれに対する昭和三三年一一月三〇日から完済まで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求める。

(2)  右に対する被告の答弁

(イ)  本案前の答弁

「主文第一、二項と同旨」の判決を求める。

(ロ)  本案の答弁

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求める。

(二)  当事者の主張事実

(1)  原告の請求原因事実

(イ)  原告は肥料原料燐鉱石の輸入販売業者であり、被告は海上運送業者であるところ、原告は昭和三三年一月二七日エル・ロンドン・アンド・カンパニー・リミテツドを代理店とするソシエタ・エギジアナ・ペル・レストラジオーネ・エド・イル・コンメルシオ・デイ・フオスフアテイから、コシア燐鉱石八〇〇〇ロングトン(但し一〇パーセント増減許容)を、価格FOB分一乾燥ロングトン当り七・七七米ドル合計六万二〇〇〇米ドル運賃分一自然ロングトン当り四五シリング合計一万八〇〇〇シリング、船積昭和三三年三月エジプト・ロシア港、日本到着本船出港後約一ケ月半の約定で買受け、右エル・ロンドンは同年一月二七日ステルプ・アンド・レイトン・リミテツドを代理店とする被告との間において、右燐礦石をパナマ船籍を有する汽船トライビーム号により日本における一又は二の安全港まで運送することを内容とする海上物品運送契約を締結した。そして右ステルプ・アンド・レイトンは同年四月一日右運送品に対して船荷証券を発行し、原告は同年五月七日この証券を取得した。

(ロ)  ところでトライビーム号(以下本船という)は右運送契約に基きコシア港において右燐鉱石を船積した上同年三月二九日同港を出航し、同年五月九日門司港に入港したが、原告においては同港においてその船積燐鉱石八八〇〇ロングトンの内四四四三ロングトンを荷揚することになつていた。そこで原告は同港において翌一〇日二一八一ロングトンの燐鉱石を荷揚したが、本船においてはその荷揚終了後バラストタンクに淡水約五〇〇トンを注入する作業を行つた。ところでその作業には通常フイリング・パイプを使用するのであるが、本船は第二番艙のサウンデイング・パイプを使用して右注水作業を行つたため、偶々同パイプの第二番艙中甲板天井附近のフレンヂ連結部分が不良であつた関係上、注入中の清水約三四トンが第二番艙内に漏出し、同艙内に荷積してあつた燐鉱石に一部濡損を生ずるに至つた。そして同月一一日は降雨のため荷役をしなかつたので右濡損の事実を発見するに至らず、翌一二日に荷揚作業を始めたときはじめてそれを発見したのであるが、同日荷揚した一四一八・六九〇ロングトン、及び同月一三日荷揚した八〇〇・三一〇ロングトンの各燐鉱石中には右濡損品を一部含んでいたわけである。しかし本船は更に引続いて宮古港に回航しなければならなかつたので、右一三日夜門司港を発し、同月一八日宮古港に入港した。そして原告は同港において残存燐鉱石四三五七ロングトンの荷揚をする手筈になつていたので、即日五六二ロングトンの燐鉱石を荷揚したが、その内には前記濡損品を一部含んでいた。しかし原告としては予定どおり同月一九日一八五五ロングトン、同じく二〇日一七九一ロングトン、同じく二一日一九二ロングトンと順次燐鉱石の荷揚をなし、その全部の陸揚を完了した。

(ハ)  元来原告は本件燐鉱石中、門司港荷揚分については三菱化成工業株式会社及び日産化学工業株式会社の両社に、宮古港荷揚分についてはラサ工業株式会社にそれぞれ売渡す約定をしていたものであり、その取引はすべて船積地における水分含有量に基いてなされていたところ、本件燐鉱石の船積当時における水分含有量は三・四七パーセントであつたにも拘らず、前記濡損により、門司港荷揚分中の濡損品一八〇・七〇七メトリツクトンの水分含有量は一四・六一パーセント、宮古港荷揚分中の濡損品五六・二三〇メトリツクトンのそれは七・九パーセントになつたので、右各会社においてはいずれもその買受方を拒絶するに至つた。そこで原告はそれらの会社に対し種々事情を説明し、百方奔走して懇請した結果、漸くそれらの取引は行われることになつたが、そのため原告としては次のような損害を蒙ることになつた。即ち、

(A) 右買受会社との取引は、結局現実取引における燐礦石の水分含有量と約定水分含有量との差額(以下水濡水分という)は喪失数量として取引数量から控除することに話合が成立し、その結果売主である原告としては右控除数量相当の売買代金を喪失することになつたところ、各買受会社別の濡損品数量は、三菱化成工業株式会社分が七一・六九〇メトリツクトン、日産化学工業株式会社分が一〇九・〇一七メトリツクトン、ラサ工業株式会社分が五六・二三〇メトリツクトンであり、これが水濡水分は前二社分が一一・一四パーセント、後一社分が四・四三パーセントであるから、各社別の喪失数量は、三菱化成工業株式会社が七・九八六メトリツクトン、日産化学工業株式会社分が一二・一四五メトリツクトン、ラサ工業株式会社分が二・四九一メトリツクトンになるところ、本件燐礦石の各トン当り売買単価は金五四〇四円であつたから、原告が各取引先から喪失数量分の代金としてその取引価額から控除された金員は、三菱化成工業株式会社関係が金四万三一五六円、日産化学工業株式会社関係が金六万五六三二円、ラサ工業株式会社関係が金一万三四六一円となるのであつて、この合計金一二万二二四九円は原告が本件濡損によつて蒙つた第一の損害になるわけである。

(B) 次に原告は右各買受会社に対し、売買がなされた濡損品の乾燥費としてトン当り水分含有量一パーセントにつき金二〇〇円の割合による金員の支払義務を負担するに至つたが、その各社別の金額は、三菱化成工業株式会社が金一五万九七二五円、日産化学工業株式会社が金二四万二八九〇円、ラサ工業株式会社が金四万九八二〇円となるのであつて、この合計金四五万二四三五円は原告が本件濡損によつて蒙つた第二の損害になるのである。

(C) 次に燐礦石の荷揚作業はその水分含有量が増大するに従つて困難となるのであるが、本件においては前記濡損により、これが荷揚作業に従事した山九運輸株式会社及び宮古港湾運送株式会社に対し、通常の作業費以外に更に難作業費を支払わなければならなかつた。そこで原告においては前者に対し金三万二七一七円、後者に対し金一万六八三円のこれが難作業費をそれぞれ支払つたが、この合計金四万三四〇〇円は原告が本件濡損によつて蒙つた第三の損害になる。

(D) 更に原告は本件濡損の鑑定のため、財団法人検定新日本社に金三万九七五円、社団法人日本海事検定協会に金一万四四三〇円の各鑑定料を支払つたが、この合計金四万五四〇五円は原告が本件濡損によつて蒙つた第四の損害になるのである。

以上により原告が本件濡損によつて蒙つた損害の総額は金六六万三四八九円になるわけである。

(ニ)  ところで右の損害は次の理由によつて被告が原告に対しその賠償をすべき筋合である。即ち、被告は本件燐鉱石の運送人として船舶発航の当時自己又はその使用する者が運送品を積込む場所を運送品の運送及び保存に適するような状態におくべき注意義務を負担し、且つその後においても自己又はその使用する者が運送品の運送及び保管に関し適当な注意を払うべき義務を負担しているところ、前記のとおり、運送品を積込むべき船艙内に影響を及ぼすサウンデイング・パイプのフレンヂ連結部分を不良のまま発航し航海したということは、いわゆる堪航能力に関する注意義務を怠つたことになり、また通常は注水に使用しないサウンデイング・パイプを用いて注水作業をなし、しかもその作業をするに際し予じめ同パイプの点検乃至検査などを行わず、漫然同パイプによる注水作業をなした結果、運送品の一部を濡損せしめたということは、いわゆる運送品の運送保管に関する注意義務を怠つたものといわなければならない。そうすると本件濡損は被告若しくはその使用する者のこれら不注意によつて惹起されたことが明らかであるから、被告は国際海上物品運送法第五条第一項第三号及び第三条第一項により、原告がこの濡損によつて蒙つた損害をすべて賠償すべき義務があること勿論である。

よつてここに原告は被告に対し右損害金六六万三四八九円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和三三年一一月三〇日から完済まで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

(2)  右に対する被告の答弁(本案前の抗弁を含む)

(イ)  原告主張の事実中、(イ)の事実はその内原告と被告とがいずれもその主張のとおりの業者であること、及び被告が原告主張の日にステルプ・アンド・レイトン・リミテツドを代理人として、エル・ロンドン・アンド・カンパニー・リミテツドとの間で、原告主張のとおりの海上物品運送契約を締結し、次いで原告主張の日に被告においてこれが船荷証券の発行をしたことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。

(ロ)の事実は、その内トライビーム号がコシア港において燐礦石を船積した上同港を発し、原告主張の日に門司港に入港したこと、同港においては船積燐礦石八八〇〇ロングトンの内原告主張の数量を陸揚する予定になつていて、原告において昭和三三年五月一〇日から同月一三日までの間これが燐礦石の荷揚作業をなしたこと、本船が同月一一日早朝(同日は降雨のため荷役中止)サウンデイング・パイプを使用してバラストタンクに注水作業をしたことがあり、その際注水中の清水若干量が艙内に漏出したこと、及び右本船が更に原告主張の日に門司港を発し、その主張の日に宮古港に入港し、原告が同港においてその主張の期間中その積載燐礦石の荷揚をなしたことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。

(ハ)及び(ニ)の事実はすべて争う。

(ロ)  元来本件海上運送に使用した汽船トライビーム号は、パナマ国の法人トランスポーテス・マリチモス・パシヒコー・エス・エーの所有船であつて、被告は昭和三一年三月神戸において右船主との間でベヤボート傭船契約(わが商法にいわゆる船舶賃貸借契約に類似する)を締結し、爾来本船を傭船していたところ、昭和三三年一月二七日に被告はロンドンにおいてステルプ・アンド・レイトン・リミテツドを代理人とした上、エス・ダブリユー・スプラツト・アンド・サン・リミテツドを代理人とするエル・ロンドン・アンド・カンパニー・リミツテツドとの間で、本船を傭船の目的とし、船積港エジプト・コシア港、船積期間開始日同年三月一日、運送すべき貨物七二〇〇トン以上八八〇〇トン以下の撤荷の燐鉱石、仕向港一又は二の日本国の安全港なる旨の約定の下に、航海傭船契約を締結したのであるが、その契約中には「本傭船契約から生ずる一切の紛争は、ロンドンにおいて仲裁により解決すべきものとし、各当事者は各々一名の仲裁人を選定し、仲裁人は最終決定権を有する審判人を必要に応じて選定するものとする」という仲裁約款を含んでいた。ところで被告は前記のように同年四月一日ロンドンにおいて右エル・ロンドンに対し、撤荷の燐礦石八八〇〇ロングトンの本船船積を証する船荷証券を発行したが、その船荷証券には「一九五八年一月二七日附傭船契約書中の一切の条項条件並びに免責約款は、仲裁約款を含めすべて本証券に合体されたものとする」旨の条項が存在していた。そうすると当該船荷証券の取得者はそれを取得するに際し、これが証券表示の運送に関し運送人たる被告との間に後日何らかの紛争が生じた場合その解決の方法としては右の仲裁によるべきことを合意したものといわなければならないところ、原告は右証券の所持人としてこれに表示された運送品である本件燐礦石の引渡を被告に求めてきたわけであるから、原告主張に係る本件紛争は宜しく右仲裁の合意に従いロンドンにおいて仲裁に付し以てこれを解決すべきものであつて、その手続をとらずして本訴に及ぶということは、不適法であるといわなければならない。よつて本件訴は本案の審理に入るまでもなく直ちに却下さるべきものである。

(ハ)  なお若し仮に右(ロ)の主張が認められず、本案について審理がなされるとしても、その準拠法はすべて英国法であるべき筈である。即ち原告においては本件の準拠法をわが国際海上物品運送法なりとし、それを前提として本訴請求をしているけれども、同法第一条の規定は格別その準拠法を定めているわけではなく、同法はわが国際私法たる法例の規定に従い日本法が準拠法になる場合においてはじめて適用をみるものと解すべきところ、本件船荷証券及びその基本となる傭船契約書には格別明示の準拠法約款がないから、本件の準拠法は法例第七条第二項に則りこれが行為地法即ち船荷証券の発行地法ということになる。そうするとその発行地はロンドンであるから、本件準拠法は一九二四年制定の英国海上物品運送法(以下単に英法という)であり、原告の主張する本件請求権の存否については、右法律に関する英国の判例に従つて判断されなければならない。

そこで右の見地にたつて本件をみるに、被告が本船を堪航能力あらしめるにつき必要な注意を怠つたとする原告の主張は全面的にこれを否認せざるを得ない。即ち、

(A) 本船は本件航海に先だち昭和三二年一二月に日立造船向島工場において入渠検査をうけた上正規の検査証明書を得ており、その際サウンデイング・パイプについては何ら異状が発見されなかつたのみならず、そもそもサウンデイング・パイプなるものはバラスト・タンク内の水量測深に用いられる設備であるから、仮にそのフレンヂ連結部分が本船発航前既に不良であつたとしても(発航後に不良となつたときは堪航能力の問題にならないこと英法三条の規定によつて明らかである)、そのことによつては本来の用途である測深に関し格別影響がないのであるから、それを以て堪航能力の欠除とは称し得ないといわなければならない。

(B) 若し仮に右が堪航能力の問題であり、しかもその不良が本船発航前既に存していたとしても、英法第三条第一項によれば被告がその点について相当の注意を払つていた限り免責されるところ、元来サウンデイング・パイプの連結具取付部分は強固な木製の厚板から成るパイプ・カバーで被覆されていて、その部分の瑕疵を外見的に識別することは不可能であるから、これを是非発見しなけばならないとすれば、各航海の開始に際し常に右パイプ・カバーを悉く解体して点検し、更にこれを組立復元した後でなければ出航できないということになるのであつて、このような取扱を求めるのは海上物品運送の特殊性乃至船舶の構造を全く無視した非常識な議論であり、サウンデイング・パイプ発航前検査としてはこれがバラスト・タンクの水量測深の用にたち得べきことを確認すれば足ると解すべきところ、被告においては本船発航前その点につき右法にいわゆる相当な注意を払つたこと勿論であるから、原告の本件損害については当然免責されるべき筋合である。

(C) それのみならず、サウンデイング・パイプの瑕疵は英法第四条第二項(n)に運送人の免責事由として規定されている「相当の注意をしても発見することのできない隠れた欠陥」に該当するとともに、更にそのパイプの用法上の過誤は同法条同項(a)に同じく運送人の免責事由として規定されている「航行又は船舶の取扱に関する船長海員水先人又は運送人の使用人の作為不注意又は過失」に該当するから、いずれにしても被告は本件損害につき免責されるものといわなければならない。

右のとおり被告又はその使用人においては本件濡損につき何ら不注意があつたわけではなく、若し仮にその使用人において何らかの過失があつたとしても、それはいずれも被告に関しては免責されるべき性質のものであるから、被告としては原告に対し何ら本件濡損によるこれが損害賠償の義務を負ういわれがないものといわなければならない。

(ニ)  以上のとおり原告の本訴請求は不適法であるか若しくは失当であるから、被告としては到底それに応ずるわけにはいかない。

(3)  被告の右(ロ)の本案前の抗弁に対する原告の主張

(イ)  被告主張に係る右(ロ)の本案前の抗弁事実中、仲裁約款に関する部分の事実関係はすべてこれを認める。

(ロ)  しかしながら当該仲裁約款は、次の各事由により、本訴における妨訴抗弁とはなし得ない性質のものである。即ち、

(A) 先ず本件仲裁約款は本件損害賠償請求に関する限り適用されない筋合のものである。元来本件仲裁約款が適用される紛争は「本傭船契約より生ずるもの」であるところ、傭船契約書第二四条が示しているその原文は「all disputes arising under this Charter 」とあるのであつて、それは「dispute about this Charter」よりは狭く限定的である。従つて本件仲裁約款の対象となるべきものは、傭船契約そのものに関する紛争、換言すると傭船契約の条項の解釈若しくはその履行又は不履行に関して生じた紛争に限られるところ、原告の本訴請求はこれと異り、前記のとおりわが国際海上物品運送法第五条第一項第三号及び第三条第一項に基く損害賠償請求なのであるから、この紛争については本件仲裁約款はその適用がないものといわなければならない。

(B) 若し仮に右主張が失当であるとしても、本件仲裁約款に基く仲裁判断は、外国の仲裁判断であつて、わが民事訴訟法上の仲裁判断ではないから、当該仲裁判断はわが国法上わが国内においてこれを強制執行する方法がないものといわなければならない。けだしわが民事訴訟法は債務名義たるべき判決と仲裁判断とはそれぞれその取扱につき截然たる区別を設けた上、外国判決についてのみは一定の条件の下に内国判決と同様の効力を認めているのに反し、外国の仲裁判断については何ら規定していないのみならず、同法の構造上からいえばむしろこれをわが国法上の債務名義とすることを拒否し、これを排除しているものと解せられるからである。そうするとそのようなわが国において強制執行をすることができない性質の仲裁判断を生ずべき仲裁契約の存在を以て、わが民事訴訟法上の妨訴抗弁となし得るとするときは、当事者が当該仲裁契約をするに際し任意にこれが訴権を放棄する旨の明示の意思表示をした場合は兎も角、そうでない場合においては、当該契約の締結という一事によつてその点に関する私権は全く救済されない結果になるから、その意味合よりすればそれは何人も裁判所において裁判をうける権利を奪われないことを明言している憲法第三二条に違反することになる。従つてそのような場合当該仲裁契約を以てわが民事訴訟法上の妨訴抗弁となし得ないこと勿論である。ところで本件仲裁契約においては原告においてこれが訴権の放棄に関する明示の意思表示を何らしていないから、当該契約の存在を以て本訴における妨訴抗弁となし得ないものと解さなければならない。

(C) なお若し仮に右主張が認められないとしても、本件において本件仲裁約款を適用することは、公序良俗に反するというべきである。即ち仲裁制度なるものは取引関係殊に商事取引関係の紛争を可及的に簡易迅速且つ低廉に解決し以て商事取引を円滑にし資本の回転を早からしめる見地からして設けられたものであるところ、本件紛争の解決につき日本国の裁判を排除しロンドンにおける英国法による仲裁手続を強いて採らしめることは、右仲裁制度設置の本来の趣旨に反すること著しいものがあるといわなければならない。即ち先ず本件紛争はわが国の門司港における荷揚作業に基因して発生したものであるから、その事実関係の調査の大半は日本国内においてなす必要があり、また現在におけるこれが紛争の当事者はいずれも日本国の法人である原被告であるのみならず、本件仲裁約款による仲裁判断に対し日本国裁判所の執行判決を得て強制執行をするためには、必ず仲裁人においてその当事者を審訊する手続を経なければならない関係上、原被告双方の関係者がロンドンまで赴くか若しくは仲裁人が来日しなければならないから、本件紛争につき本件仲裁約款を適用することは、これをわが国裁判所の裁判に付した場合に比し、徒らに解決を長びかせて紛争を複雑化せしめ、且つその間において本件により原告が蒙つた損害以上の経費を支出しなければならなくなるのであつて、かくては仲裁制度の本来的意味は全く没却せられ、本件損害の賠償を求めようとする原告に対し、これが権利の行使を極度に制限し、不当に苛酷な負担を負わさせる結果になるのである。この意味合において本件仲裁約款を本件に適用することは公序良俗に反するものというべく、従つて本件においてその約款を適用することはできないものといわなければならない。

以上の各事由により本件仲裁約款の存在は本訴の妨訴抗弁とすることができないから、被告のその点に関する本案前の抗弁は失当であるといわなければならない。

(三)  当事者の立証

(1)  原告

乙第三及び第四号証の成立はいずれも不知、その余の乙号各証の成立はすべて認める。

(2)  被告

乙第一乃至第五号証の提出。

理由

(一)  原告の主張の請求原因事実の内、原告が肥料原料燐鉱石の輸入販売業者であり、被告が海上運送業者であること、昭和三三年一月二七日被告がステルブ・アンド・レイトン・リミテツドを代理人として、エル・ロンドン・アンド・カンパニー・リミテツドとの間で、コシア燐鉱石八〇〇〇ロングトン(但し一〇パーセント増減許容)をパナマ船籍を有する汽船トライビーム号により日本における一又は二の安全港まで運送することを内容とする海上物品運送契約を締結し、同年四月一日被告においてこれが船荷証券を発行したこと、右本船がコシア港において右燐鉱石を船積した上同港を発し、同年五月九日門司港に入港し、原告が同港において同月一〇日から同月一三日までの間積載燐鉱石の一部の荷揚作業をなしたこと、その間本船においてサウンデイング・パイプを使用してバラストタンクに注水作業をしたことがあつたが、その際注水中の清水若干量が艙内に漏出したこと、及び本船が右一三日夜門司港を発して同月一八日宮古港に入港し、原告が同港において同日から同月二一日までの間これが積載燐鉱石残部の荷揚作業をなしたことは、いずれも当事者間において争がなく、被告において発行した前記船荷証券を原告がその発行後間もなく取得し、その結果原告においてこれが証券所持人として、前記のとおり、門司港若しくは宮古港において被告からその運送品である本件燐鉱石の引渡をうけたことは、被告において明らかに争わないところである。

(二) ところで本件訴訟は、原告が右証券の所持人たりし資格に基きその運送人であつた被告に対し、これが運送品の損傷による損害賠償の請求をするものであることはその主張自体によつて明白であるが、これに対しては被告において前記事実欄(二)の(2) の(ロ)記載のとおりの仲裁契約存在の抗弁を主張して争うから、先ずこれが本案前の抗弁につきその当否を考えてみよう。

(1) ところで被告において主張している当該抗弁事実自体については、当事者間において何ら争がない。そうすると本件船荷証券中には「一九五八年一月二七日附傭船契約書中の一切の条項条件並びに免責約款は、仲裁約款を含めすべて本証券に合体されたものとする」旨の条項が存在し、右一九五八年一月二七日附傭船契約書とは、昭和三三年一月二七日被告がロンドンにおいてステルプ・アンド・レイトン・リミテツドを代理人とした上、エス・ダブリユー・スプラツト・アンド・サン・リミテツドを代理人とするエル・ロンドン・アンド・カンパニー・リミテツドとの間で、前記トライビーム号を目的としてなされた傭船契約の締結に際し作成された契約書のことであり、その契約書中には「本傭船契約から生ずる一切の紛争は、ロンドンにおいて仲裁により解決すべきものとし、各当事者は各々一名の仲裁人を選定し、仲裁人は最終決定権を有する審判人を必要に応じて選定するものとする」旨の仲裁約款が存在していたことになるわけである。そこで考えてみるに、当裁判所としては、右のような契約関係であれば、原告が本訴において主張しているような紛争もまた当然右傭船契約書所定の仲裁手続によつて解決されるべき筋合のものであると一応考えるのであるが、原告においては前記事実欄(二)の(3) の(ロ)記載のとおりの各主張((A)乃至(C))をしてその然らざる所以を強調するから、次に順次その当否について考えてみよう。

(2) 先ずその(A)の主張について考えてみるに、右傭船契約書中仲裁約款部分の原文は、成立について争のない乙第一号証によると、「All disputes arising under this Charter shall be settled by Arbitration in London, each party nominating an arbitrator and if necessary a final Umpire to be appointed by the Arbitrators 」というのであり、本件船荷証券中前記条項部分の原文は、成立について争のない乙第二号証によると、「Charter party, dated 27th January, 1958……, all the terms, conditions and exceptions contained in which Charter are herewith incorporated」というのであることがそれぞれ認められるから、右傭船契約書所定の各条項はすべてこれを本件船荷証券上の約款として取扱う約旨であることが窺われるところ、その取扱に際しては、前者において「all disputes arising under this charter 」とある部分は、後者につき「all disputes arising under this bill of lading」として考えるべきものといわなければならない。そうすると本件における如き、当該船荷証券が発せられた海上運送に関しこれが運送品の損傷を理由とする損害賠償についての紛争は、当然右傭船契約書所定の仲裁手続によつて解決されるべき筋合であると解さなければならない。よつて原告の右(A)の主張は失当である。

(3)  次にその(B)の主張について考えてみるに、本件仲裁約款に基く仲裁判断が外国の仲裁判断であることは原告主張のとおりであるが、原告の(B)の主張の前提をなすものは、当該仲裁判断の如き外国の仲裁判断はわが国法上わが国内においてその強制執行をすることができないという見解であるところ、当裁判所としては到底その見解に左袒するわけにはいかない。その理由は次のとおりである。即ち元来仲裁とは当事者がその合意によりその間における紛争の解決を国家の司法機関に求めることをせず、同人らにおいて任意その知識経験並びに人格を信頼して選任した私人の第三者たる仲裁人の判断により、これが紛争の解決を計ることを企図する手続であるところ、国家としても当事者が任意にそのような紛争解決方法を採ることを希望する以上、同人らに関してはその仲裁判断に従わしめることのみを以てその権利救済に充分であるとみなしても一向差支ないわけであり、わが民事訴訟法第八〇〇条の規定の趣旨もまたここにあるということができる。そうすると仲裁制度の核心をなすものは、あくまでも当事者の合意ということであつて、その合意があればこそ、国家においてもその合意に基く仲裁判断を以て自らにおける司法権行使の結果である判決と同視し、それと同様に取扱うことにしているわけである。ところでわが民事訴訟法第八〇〇条にいわゆる仲裁判断が同法所定の仲裁手続によつてなされた内国の仲裁判断のみを指称していることは勿論であるが、現在における世界交通の発達、殊に商取引関係における内外商人の通商交流は、必然的にその仲裁約款においても外国法に基く仲裁手続の約定をすることを不可避にならしめているのである。そしてそのような場合においてもそれが当事者間において任意に約定されるのであれば、右の論法に従い、国家としても格別嫌忌すべき性質のものでなく、むしろ当該外国の仲裁判断を認容尊重し、以てその仲裁判断で以て自己の権利を擁護しようと企図した自国民その他の当事者を保護するのが本来の筋合であるといわなければならない。そして「一九二七年九月二六日にジユネーヴで署名された外国仲裁判断の執行に関する条約」もまた右と同様の見地に立つて成立したものと考えられ、現在わが国もそれに加盟しているのであるが、わが国においてはその条約実施のための国内法を現在のところ特別に制定しているわけではない。しかしながらそのため外国仲裁判断のわが国内における執行という問題について、これを法の欠缺として消極に解するということはその性質に鑑み相当であるとはいい難く、その点に関してはわが国内法たる民事訴訟法の相当条項を準用することとし、これを積極に解するのが相当である。ところでわが民事訴訟法には外国判決に関する諸規定があるが、判決と仲裁とはその間において当事者の合意の有無という著しい性質上の差異があるから、外国の仲裁判断につきそれら外国判決に関する規定を準用することは適当でなく、それよりもそれと同一の性質を有する内国の仲裁手続を規定している同法第八編中の第八〇〇条乃至第八〇二条の諸規定を準用するのが適当であると考えられる。そうすると本件仲裁約款に基く外国の仲裁判断といえども、右法条に則り内国の仲裁判断に準じてわが国内において強制執行し得るわけであるから、その然らざることを前提とする原告の右(B)の主張は認めることができない。

(4)  更にその(C)の主張について考えてみるに、元来原告としては本件船荷証券の所持人たりし資格に基き本訴請求に及んでいるものであるところ、原告がその船荷証券を取得するに至つたのは、商人として商取引上任意にこれを取得したことによるものであることが本件弁論の全趣旨に徴して明らかであるから、原告としてはその取得に際し当該証券に記載されている本件仲裁約款に関する条項を認識し且つそれに従う意思を以てその証券を取得したものと推認せざるを得ない。そうすると原告主張の諸事情、殊に本件損害賠償の請求額が比較的少額であるなどの事実のみを以てしては、未だ本件仲裁約款を本件に適用することが公序良俗に反するとまではいい難く、他にその適用が公序良俗に反するといわしめるような事情も認めることができない。よつて原告の右(C)の主張もまた採ることができない。

以上のとおり、原告の(A)乃至(C)の各主張はすべて失当であり、被告の本案前の抗弁は妨訴抗弁として理由があるからこれを認容すべきものと考える。

(三)  よつて本件訴は不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用した上、主文のとおり判決する。

(裁判官 石崎甚八 坂上弘 井野口勤)

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